恩師「阪口慶三」たる男。part 2
2021年1月14日◯採点!?
さあ、いよいよ全国大会だ!
と、中学生の集大成を迎えようとした直前、先生は東海市にある私の実家、「ナコー伏見」に降臨しました。
part1で書いた通り、
私は、「どう言って断ろう、、」の一点。
緊張感がピンと張り詰めた店内に菓子折りを持って入るなり、第一声は衝撃的でした。
「君の実力はこの前の試合で十分見させてもらった!今日は私の採点をしてください!」
忘れもしません。
その目は、なんか磁気でも働いているかのように吸い込まれそうな力を持っていました。
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話すこと2時間くらいだったでしょうか。
いや、そんなに経った印象もないですね。
笑顔で帰っていく先生。
笑顔で送り出す私たち。
そう。
この2時間で、私は大垣日大に進学することを決めていました。
あれだけ断るつもりで今日を迎えたはずだったのに。
今振り返ってみても不思議でならない。
入学条件は最高ランクで魅力的でした。
大学を見据えた話も引き込まれました。
設備なども野球に集中するには最高の環境でした。
でも、決定打は以上のどれでもなく、
「先生と甲子園に行こう。この私に力を貸してください。」
と、中学生の私に子どものように手を差し出した、先生の燃えるような決意に素直に惚れたから。
「この人と絶対に甲子園に行く!」
と決めた瞬間でした。
厳しい寮生活に恐れてどうする。
幼い頃からの目標に折り合いをつけてたまるものか。
その日は、先生に出逢えたおかげで生きる意味を再確認した瞬間でした。
思い返せば、この時会うことすら断っていたら。。
人生はどうなっていただろうか。。
考えるだけでも恐ろしいです。
大垣日大は一般入学では野球部には入れません。
すなわち、皆スカウトをされて入ってくる選手ばかりです。
全国各地から集まってくるため、それぞれ全国屈指の強豪校からの誘いもたくさんある中でここ、大垣の地を選んで来ていました。
そんな同期たちに、じゃあここに入ることになったきっかけは?と聞いてみたことがあります。
そうしたら、みんな口を揃えて
「手を差し出されたら自然と握手していた」と言います。
先生は、そんな不思議な「魔法」を持った人でした。
◯「名将」
入学後はとにかく、勝利への妥協が一切ない「名将」。
「アメ」と「ムチ」を使いこなしながら、巧みに選手を育て、試していく。
相変わらず無邪気な笑顔には、あれだけ「くそっ」と思っていてもつい、つられて笑ってしまうのが常でした。(笑)
3年間を振り返ると、青春は捨て、一般的な高校生らしい生活は諦めるしかないほどの「地獄」の日々。
練習の厳しさはもちろん、寮生活は特に。
外出はもちろん、お菓子やジュースは禁止。夜は日付が変わるまで練習することもあります。
これらは氷山の一角で、その他にも数多ほど。。
ここで培った、「勝つことへのこだわり」「馬力」「生き抜く力」は一生の宝です。
そして、グランドでは、勝利へのこだわりが強いのとトレードオフで勝つための人選に「情」はありません。これは強豪校ゆえんでしょうか。
私は最終的にレギュラーにはなれませんでした。
最後の甲子園での背番号は外野手として「10」。
正直結果については悔しかったし、やるせなかった。
その思いについてはすでに以前の記事で紹介済みですが。。
でも、振り返ってみると本当に先生には感謝しかないんですね。
不思議と、レギュラーとして使ってくれなかったことに苛立ちすらない。
むしろ納得しています。
なぜかというと、
結果が出なくてもチャンスを幾度とくれたからです。
思い出せば、レギュラーになれるチャンスはいくらでもありました。
2年の春先も練習試合ではスタメンでした。最高学年となった秋口もスタメンで使ってもらっていました。冬を越え3年春は背番号一桁をもらいました。
最後の夏直前の練習試合もスタメンで使ってくれる試合も多くありました。岐阜県大会も1試合スタメンで。。
でも、これだけ使ってもらっていても期待通りの結果を出せなかったのは自分です。
それでも、甲子園で試合に出してくれた先生には感謝しかない。
引退した2,3ヶ月後にグランドに出て、その甲子園のことについて先生に呼ばれて少し話をしたことがあります。
「君をなんとしても試合に出してあげたかった。あの展開の中、真っ先に君の名前が浮かんだよ。」
と。
確かに彼には勝利に不必要な「人情」はありません。ただ、ここまで人間味に溢れた「愛」のある人はいない。
先生は勝負の世界の厳しさを、野球を通した「教育」で私に教えてくれました。
それが今の私に大いに活きていることは、言うまでもない。
その時私に向けた眼差しは、3年前私にくださったものと全く同じでした。
この人を選んでここに来てよかった。
そして、卒業の日。
先生と最後の握手をしたときにもらった言葉。
「先生を信じてここに来てくれてありがとう。」
あの日から吸い込まれるように始まった3年間はこの言葉で幕を閉じました。
15歳で地元を飛び出し、右も左もわからない「異国の地」で戦い続けた3年間。
時には野球だけではない。数えきれないほどの悩みや葛藤に押し潰されそうになっても、人には言えない思いを背負い込んで、毎日をしがみつくように生きる日々。
高校生がここまでやるか。。と泣き叫びたくても、隣にいるのは同じ思いの仲間たち。
それでも皆、下を向かずいつだって歯を食いしばって上を見続けたから今があります。
3年間、涙、涙、涙。そして涙。
でも、最後に笑った、この長いようで一瞬で過ぎ去った3年間は生涯忘れることはありません。
私を獲ってくれてありがとう。阪口先生。
次回は、大学生となった私と先生とのやり取りを踏まえた内面、「心」の部分について書きます。
☆ part3に続く。
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