永遠の「先生」
2021年7月18日
年次が変わって、取り巻く環境が変わると、
出会う人も変われば、今まで会っていた人となかなか会えなくなったりもします。
でも、これに関しては全然悲観的になる必要はないと思っていて、人は願えば必ず引き合うし、また出会えると思っています。
そして、そうやって出会ったときは決まって温かい空気になる気がします。
先日、小学校6年生の時に担任をしてもらった
I先生がエアコンのお話でご来店されました。
ご依頼は奥様のご実家にエアコンを。とのことでした。
先生とは成人式の時に会っているし、年賀状やメッセージのやり取りは定期的にしているので、めっちゃくちゃ久しぶりという感覚はなかったのですが、
社会に出てからは初めて会ったので、どこか懐かしくて嬉しくて。
本題である、エアコンの話をさせてもらったあとは、
卒業したあとこうだったんですよ〜みたいな話をしながら盛り上がりました。
そこでいきなりですが、このI先生の好きなところ。
と言うか、今になって気づけた素敵なところ。
それは、
小学校6年生の僕にも、25歳になった僕にも全然話し方や接し方が変わらないところ。
思い返せば、あの時から「ひとりの人」として接してくれていたことをブワーッと思い出しました。
全員が全員ではないと思いますが、どうしても小学生を相手すれば、大抵の大人は子ども扱いをします。
言い方一つで手のひらで転がせたりもするだろうし。
でも、意外と12歳とかって自我があって、難しい年頃でもあるから、反抗もします。
僕、結構ヤンチャだったから、
今思えば相当先生を困らせてしまったと反省をしていますが、あの時から先生は一人一人良いところを見つけては褒めて、一対一で向き合っていた記憶があります。
毎朝学級新聞を書いてみんなに配ってくれたり、土日に僕の野球を観に来てくれたり。
そんな一生懸命なアツい先生だったので、
あの頃は、
「本当に熱心ですごいな」と思ってましたが、
こうやって、僕自身も大人になり子どもを持つと、よりその思いが深くなるというか。
話は戻りますが、
あの時と喋ってる感じが全然変わらないんですよね。
こっちは歳が倍にもなって、背も大きくなって、色々変わってるのに。
それすごくないですか??
逆に言えば、あの未熟者半端者の小6のみんなを相手にしても、「人」として認めて接していたということですか?
感動します。
改めて、こんな先生が担任で良かったと思ったし
自分の子どももこんな先生に預けたいと思いました。
これは、誰を相手にしても自分の中の「軸」をぶらさないことにも大きくつながると思うので、本当に真似したい。
社会の中でも本当に必要な力だと、こうして働くようになってから実感します。
でもね、
当の本人は「僕にとってはずっと小6のゆうやのままですよ」って僕の親にも言ったりするもんだから、きっと無自覚に優れてるんだと思います、人として。
それか、何枚もうわてか。笑
ありがとうございます。先生。
またコロナが落ち着いたら飲みに行きましょう。
いつか、クラスを集めて先生をご招待したいと思います。
お楽しみに。
学級委員 田中裕也より
→ホームページ「ナコー伏見」
→YouTube「ナコー伏見ちゃんねる」