恩師「阪口慶三」たる男。part 1

恩師「阪口慶三」たる男。part 1

2021年1月10日 オフ 投稿者: ゆーや

私は今でも夢を見ると、ダントツで登場率ランキング一位の人物がいます。

 

それは、

いわずもがな高校時代の恩師「阪口慶三」

 

たまたま高校時代の同期も阪口先生についてブログを書いていて、私も書きたくなりましたのでお付き合いください。(笑)

 

このような大変な世の中で、日々何ができるか考えながら闘っているとアドレナリンがシンクロするのか、特に最近は頻繁に彼と夢の中で出会います。(笑)

 

そして、あの頃の怒涛の日々を思い出しては、夢の中で奮い立ち、朝を迎えています。

 

おそらく、歴史もさながら影響力が大きい方なので、野球関係者じゃなくても知っている方は多いと思います。

 

一言に「名将」では片付けられない、不思議な魅力の持ち主なので是非ご紹介したい!

 

改めて思い出すと、私の人生において阪口先生に出逢い、彼の「子ども」として過ごした3年間は、とてつもなく大きな出来事で、人生の礎となっています。

 

何partかにわけて、出逢いから巣立ちまで物語形式で書いていきます。

 

 

◯夢見る野球少年

 

実は1番最初の出逢いは小学校6年生の冬。

 

どうやら岐阜県の大垣日大という強豪校が新日鐵のグラウンドへ合宿に来ているらしい。との情報を元にチームメイトとその親御さんに連れていってもらいました。

 

最初その話をもらった時は本当に大興奮!

 

だって甲子園という舞台を直前の夏に見ていたから、なんなら私からしたら強豪校の彼らは芸能人より憧れの存在です。

 

当日はとにかく、強豪校というより間近で見る高校生の大きさ、凄さに感動したのを覚えています。運良く、ブルペンに入れてもらったのですが、とてつもない緊張感が場を支配していました。

 

 

投げ込みをするピッチャーの後ろで腕を組みながら、じっと選手を見つめていた阪口先生(以下、先生で統一)は私たちに歩み寄って、優しく今のチーム状況を教えてくれました。

 

ちなみに当時そこで投げていた高校一年生は、後に中日ドラゴンズに入団した阿知羅さん。

 

 

その時、ただ一つ先生の印象で強く残っているのは、

「鬼のような鋭いまなざし」「子どものような無邪気な笑顔」。

 

すげーな〜、甲子園に行く常連校の雰囲気とか監督さんってこんな感じなんだ〜。すげーなー。。

 

ただただ、圧倒されまくり。

 

 

そんなこんなで、迫力を目の当たりにして、帰ったらすぐ野球がやりたくなっていた当時の私ですが、当然、まさかここに入学するなんてイメージも湧かなかったし想像もついていませんでした。だって県外だし。

 

 

実際、その時のことを先生には未だに伝えたことがなくて、言ったところで覚えていないと思います。(笑)

でも今思えば強く結ばれた確かな「縁」があったのかな。。

 

 

 

 

◯再会!?

 

 

中学は部活には入らず、硬式野球をやるためにボーイズリーグのチームに所属していました。

 

たまたまチームが強かったこともあり、最後の夏の全国大会はベスト8。個人的にも全国制覇こそ逃しましたが、充実の中学3年間でした。

 

時は遡り、その1ヶ月前の愛知県予選の2回戦。

なんと。。

他の高校に進学が決まっていた私は、再びあの阪口先生と出会うきっかけに遭遇します。

 

後に先生が明かしてくれましたが、実はその試合に先生がスカウトに来ていたのは同僚のK君で、私ではありませんでした。

 

が、しかしその日たまたまヒットを連発していた私を見て、方針を変えて私を獲りたい!と思ってくださったらしい。

 

わりと、ボーイズやシニアのチームと高校は、良い選手をスカウトするために密に連絡を取っているケースも多いですが、私が所属していたチームと大垣日大の間には何のパイプもありませんでした。

 

 

卒業して思いますが、野球のセンスだけではなく人柄も重んじる先生の人選にとって、そのチームの「初」というのは怖いもの。

 

 

それでも「獲りたい!」とチームの監督に声をかけてくださったことはとても自信になりました。

 

 

が、しかし、、、

 

 

私が進学を予定していた高校は甲子園を狙えるかはかなりビミョウな位置でしたが、同じチームメイトと一緒に行くことが決まっていた立派な進学校ということもあり正直とても選択に迷いました。

 

さらに、大垣日大は県外

 

後に書きますが噂では有名な、正月しか帰ることができない地獄の寮生活が待っています。

 

でも、甲子園には限りなく「近い」。

 

 

・チームメイトと行く進学校を選ぶか

・昔からの憧れの地を求めて県外の強豪校に飛び出すか

 

 

 

究極の2択に迫られ、私は小学校時代の監督やコーチ、一緒に進学する予定だったチームメイト、その他色々な人に相談をして、真剣に悩みました。

 

悩みに悩んだ結果、、、

 

 

なんと、私は前者を選んでしまうのです。。

すなわち、大垣日大の誘いを断ることを。

 

 

周りは天地がひっくり返るくらい仰天しました。

この際だから言ってしまいますが、

みんな、

「正気か?」「あほなん?」と。

 

私が昔から甲子園を目指していたのを知っていたからでしょうね。そのような反応になるのはわかります。

 

でも、その時の私には親元を離れて、しかもそんな地獄とか言われている寮生活に飛び込む自信なんてなかった。

 

ましてや、今まで歴代の先輩が行ったこともないからまともな情報もない。

 

勇気が出ませんでした。

 

 

 

1週間後、チームの監督にその旨を伝え(監督が1番残念そうだったかな笑)、監督が阪口先生にお断りの電話をしたそうです。

 

そしたらなんと。。

 

 

「プレーは見させてもらったが、一度も会って話をできずにこうなるのは納得がいかない。一度会いにいかせてください。」

 

と返事が返ってきたそう。

 

「やばい、本気だ。。」

 

しかも、週一休み(火曜日)の家業の都合に合わせて来てくださると。

 

チームの監督も今までこんな経験ないからアタフタ。

「そう言ってくださってるから、断るなら一度会って断りなさい!じゃないと俺の顔が立たん。」と言い出す始末。

 

 

「困ったな。何て断ろう。」

 

 

 

もうすでに自分の中では、そのような断る前提の悩みに変わっていました。

 

 

無事、全国大会出場を決めた後、

この東海市富木島町に阪口先生が来ることに。

 

 

これが後の人生を大きく変えた出逢いとなるとは、この時は思いもしませんでした、、、

 

 

☆part 2に続く。

 

 

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