子育てにおいて「家では仕事の話はしない論」は正義なのか。
2022年1月10日コロナ発生から丸2年。
ここ最近もオミクロン株が流行し始めて、「またか、」の空気しか漂っていない今の世の中。
この2年で労働者の働き方は大きく変わったように思います。
飲食店が臨時休業しても全く違和感がなくなったし、海外からの部品調達が間に合わないのは日常茶飯事。国内旅行でさえままならなければ、リモートワークはもはや当たり前。
本当に世界は一変しました。
そんなことから、毎日同じ場所へ定時出社・退勤していた方にとってみれば、家にいる時間は相当増えたとか。それによる恩恵・弊害はさておき、その方の家族にとってみれば、これまでその「働く姿」はかなりベールに包まれていたわけで、
「家で仕事の話はしない」ことはどこか「美しい」と表現されてきたように思います。
「努力は見せずして結果を出す」的な。
子どもの前でもそれは正しいことだという風潮があったのでは?
ただ、この「家で仕事の話はしない」という世のモットーに僕はずっと違和感を感じていて、コロナ前からずっと腑に落ちない部分がありました。
例えば、お父さんが家で仕事の話をしたらダメなのか?おかしくないか?
ずっと疑問でした。
大体世の家族世帯の、「家で仕事の話をしたくない」お父さんと「家で仕事の話を聞きたくない」家族の需要と供給が合いすぎていて、もう正義になってしまっている。
例えるなら、
「不味いりんごですが食べますか?」
「不味いりんごなら食べません」
の会話になることがわかっているからでしょ。
でも、コロナが来たから時代が加速したけれど、殆どのホワイトカラーの方はいずれはこういう時代が来るのだとしたら、そもそも「家で仕事する」ことが増えてたじゃん!って思います。
話を少し戻します。
仕事の話を家でしたくない・聞きたくない理由を自分なりに因数分解すると、
「仕事は辛く耐えるものだから話をしたり聞いたりすると気分が悪くなるからなるべく触れたくない」だと思うんですね。
だとしたら、そりゃ子育てにおいても悪影響だと思います。
だって、パパママが毎日辛そうな神妙な顔付きで会話をしていたら子どもは絶対に気を使うようになります。それはもう最悪です。
でも僕も、こうして一歳半になる子を育てながら、父親が経営する会社、「まちのでんき屋」の後継者として働いていて強く感じるのは、
将来子どもの前で話したくなるような仕事の話しかないんですね。
「パパ、今日こんな嬉しいこと言われてさ」「こんなものいただいて、ありがたかったよ」って伝えていきたいエピソードがたくさん貯まっていく日々です。
むしろ、温かいお言葉の後にお客様の前で子どもの写真を見せて、「かわいいねかわいいね」って言われて、嬉しさ倍増。
妻にはこの嬉しくて溢れる想いは常々話をしていますが、これは絶対子どもにも聞いて欲しい。
だって、きっと毎日こんな風に楽しそうに充実した様子で働く父親を見て、「こうはなりたくないな」と思うことは絶対ないと思うんです。
むしろ、家族で過ごす時間よりも圧倒的に働いている時間の方が長いのに、その現実逃避をする場所が家庭だなんて本末転倒だし、人生何やってるかわかりません。
もちろん子どもの話をそれ以上に聞いてあげることは第一です。
その上で、同じくらいハッピーな出来事を子どもがわかるように話してあげる。
最高じゃないですか?
もう仕事は「我慢して耐えるもの」ではないはずです。一昔前のように耐えていれば、終身雇用と年功序列が守られた世の中ではないから。
いつしかも書きました、働き方改革。
もう、世の中にはとっくに「人生改革」に踏み切れている人もいるとは思いますが、労働時間や効率性だけに縛られた小手先だけの働き方改革では、「人生改革」には程遠いかなと感じています。
僕も、もっともっと「感謝」「愛」「思いやり」をお客様と共有して、いつか子どもに話しても話し足りないくらいのエピソードを貯めていくつもりです。
あと、どれくらいやれるかな。
まだ50年くらいはやれるかなと思うと、ちょっとニヤけます。
充実したLIFEを与えてくださる方々、いつもありがとうございます。日々感謝してもしきれません。
僕も負けないように、皆様に与えていけるよう、生涯懸けて頑張りたいと思います。
2022年1発目でした。
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