「余白」。日本は「詩」が足りない
2021年7月11日前にも少し書いたかもしれませんが、
今回は「余白」について。
この「余白」。
言い換えると、ポジティブな意味で「遊びがある」状態かと思います。
なんなら完璧までは少し「物足りない」くらい。
ある番組で
「日本はポエムが足りない」と言っているのを見つけました。
「詩」が足りない、と。
なんのこっちゃ、って感じですよね。笑
つまり、どういう状態かというと
経済性ばかり追い求めて商品やサービスのクオリティを意識しすぎるあまり、この世の中から「人間臭い」部分が消えている。
ということです。
これ、今後地元で商売をする人は特に鍵となるんじゃないかと思うので、実は今すごく注目している単語です。
よく例えに出すのですが、スナック。
僕自身はあまりお酒を飲まないので、スナックに通うということはしたことがないのですが、
どうやらあそこは「余白」の宝庫なんだそうな。
このコロナ禍に置いて、ファンが必ず戻ってくるのもうなずけるほど、各地元では大人気。
なぜでしょうか?
初めに言っておきますが、スナックの方達はより良いサービスをと思って日々接客をされていると思います。
そこは絶対です。それを踏まえてお読みください。
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さて、
スナックには一生懸命に接客をするママがいますよね。
でも、毎日完璧に接客ができるわけではないみたいです。
皿だってお客さんが一緒になって洗うところもあれば、お客さんが酔い倒したママを介抱するところも。
なんか高級料亭みたいに何から何までおもてなしをしてくれるわけじゃなく、むしろちょっと「足りない」。
それでも、なぜ人々はお金を払ってまたそのスナックに行くのか。
それは、やっぱりその空間が生み出す一体感であったり、そのママをほっとけない!というちょっとした親心であったり。
色々理由はあれど、皆「余白」を埋めにいくために、今日もスナックに行くんじゃないかと思います。
そこに今の日本に足りていない「人間臭さ」があるから、求めているんじゃないかと。
少し哲学的になってしまうんですけど、やっぱりどうやっても人は感情で動く生き物だから、
あったものが無くなると寂しいと思うんです。
そういう「足りない」部分をテクノロジーで埋められるような世界になってしまった今、
経済が底上げされてほとんどの人が「豊か」なはずなのに、少し「栄養不足」に陥っている人が多いのではないでしょうか。
僕は年齢的にあまり知らないですが、
ご近所でお裾分けが当たり前だった時代を皆様は思い出せますか?
あの頃の「余白」は今、どんな思い出として心に残っていますか?
ちょっとだけ羨ましいので教えてください。。
今、僕たちはありがたいことに、
お裾分けや「ちょっとお茶飲む?」と、人間の優しい部分に触れることができる、大変心の温まる素敵なお仕事をさせていただいています。
こういうやりとりは、子どもの頃にあまり経験がないからこそ、ジーンときます。
だから僕も、いただきっぱなしではなく
皆様が「余白」を埋め合いたくなるようなコトを考えていきたい。
新しいことにもどんどん挑戦していきたいと思います。
便利になっていくのも良いですが、
少々助け合う文化があっても良いな、と思うので。
あ、もちろん、施工・サービスには最新の注意を払って完璧に。
これは当たり前事項です。
その先にある、もう一歩先の未来へ。
まちのでんき屋はまだまだ進化します。
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