「この壺は満杯か?」

「この壺は満杯か?」

2021年2月24日 オフ 投稿者: ゆーや

 

 

春めいてきましたね。

 

先日、妻と子どもの家族3人で隣町に梅を見に行ってきました。
まだ朝晩は肌寒いですが、このまま暖かくなると良いですよね。

 

 

さて、今回のお話。

このお話は元々知っていて、「良い話だなぁ」くらいの軽い記憶でしたが、先日たまたまネットで出会って、
改めて読み返すと刺さりました。

人生の核心を突いてるようで。

 

本当に大切なものは何か。

こっちが受け手としたら、
「伝えられている」というよりも

「考えさせられる」。

 

そんなお話です。

知っている方も是非もう一度。

 


 

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「クイズの時間だ」

 

教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

 

 

「この壺は満杯か?」

 

 

 

 

教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。

 

砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。

 

 

「この壺は満杯か?」

 

 

一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

 

 

「この壺は満杯か?」

 

 

学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ
彼は学生に最後の質問を投げかける。

 

 

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

 

 

一人の学生が手を挙げた。

 

 

「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

 

、、、、、、

 

 

「それは違う」

 

と教授は言った。

 

 

「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」

 

君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。

 

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。

ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。

 

 

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。
もし君たちが小さな砂利や砂、水など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

 

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。

 

 

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というようなお話でした。

 

いかがでしたでしょうか?

 

 

学生の頃の私に取って、少年の言った

「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

 

の意味はとても理解できました。

 

 

ただ、
家庭を持ち、子どもが産まれ、いずれはこの会社を経営していく立場にある現在の状況から考えると、教授の言う、

 

「この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」

 

という意味の方が、重く深く受け止められます。

 

最も私自身、わりと
「善は急ぐ」「鉄は熱いうちに打つ」タイプですが、
「大きな岩」とは人によって違います。

 

 

 

 

私にもあなたにも、きっとそれぞれの「大きな岩」がある。

 

この壺の話が表す体積という名の「時間」は、本当に軽く見積もってはいけないな、と強く思います。

 

 

人生は有限です。
不老不死は今のところ実現不可能だとするならば、やはり優先順位の高いことから時間は使いたい。と思えてきます。

 

人は不可視な壺を持っている。

 

 

その壺を大切なことから埋めていって、誰にも持ち上げられないような密度の高い壺に成れたときに初めて、外側の紋様に光が宿るのではないでしょうか。

 

そのように立派な壺にできるかは私次第です。

 

 

、、、、

 

 

ただ、どっちやねん!となりますが、
表裏一体このように考えることも。

 

過ぎてしまった時間は戻りません。

でも、中に入れてしまった小さな砂利や水なら取り出すことは可能です。
そこから、また「大きな岩」を入れ始めれば良いだけですから。

 

 

そう考えると、少し立ち止まって人生を振り返ることも立派な「前進」になりますでしょうか。

 

 

となれば、ほんの少し人生が楽になりそうです。

 

 

ただの備忘録としてではなくて、こうして文字に起こしながら人生を振り返るのもきっと良いことなのかな、と思うので、これからも自分自身の壺の中を覗きながら、このブログを更新していこうと思います。

 

 

「この壺は満杯か?」と自分に問いながら。

 

 

 

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