「あとつぎ」
2022年6月10日ご無沙汰です。
何ヶ月ぶりの更新になりますが(ちなみにYouTubeも2ヶ月分止まってる。)、結構この間は本業本業の日々でした。
世間は中国のロックダウンをモロに受けた影響で深刻なモノ不足。
業界全体で見ればなかなか類を見ない厳しさです。
ただそんな中、知恵を絞り、脳汗をかくことで乗り切ることができるから、生命は生き残っていけるわけなので、日々奮闘しております。
当然僕も弱気な面は微塵もございません。
備えあれば憂なし。
ありがたいことに防犯カメラ事業においては、
某高級車ディーラーと新たな挑戦も始まりました。こちらは突き詰めていったらとても意義のあるとても大きな価値創造になるため、なんとか次のフェーズへ移行していきたいものです。
さてさて、
そんなこんなで、今日は「あとつぎ」について。
大体世間一般的に想像する「あとつぎ」は「後継ぎ」でしょう。
最初に言っておくんですけど、別に全然間違ってるわけではなくて、むしろ正解なんてないんですけど、個人的にこの「後継ぎ」っていう字に対する懐疑というかそんな感情がこの2年経ったあたりに芽生えたので、紹介させてくださいな。
まず、なんか「後」っていう字ですよね。
ご覧の通り「うしろ」なんですよね。
もちろん長く続く会社なら創業者がいて、二代目がいて、僕みたいな三代目がいて、となる。
確かに「うしろ」なんですけど、やっぱりそれなりにその時代その時代で大変さがあるわけです。世の中の様子も違う上に、求められるスタンスもまるで違う。
だから、ただの「うしろ」ではないんじゃない?と少々穿った視点。
そして、「継ぎ」ってなんか「継ぎ足してる」みたいじゃないですか?笑
要は、先に主役がいて弱いところや足りないところ、薄まったところを「補完する」役目みたいな。
そして、主役と共に幕を閉じるみたいな。考えすぎかな?笑
ていうわけで、なんか「後継ぎ」ってなんかちょっとパワーに欠けるというか、インパクト無しというか、少し足りないなと思うんです。
でもね、こう言いたいのは、僕が三代目だからなのかもしれない。
結局、初代は祖父で二代目が父だから、現在どっちも健在なわけです。簡単に言うとこっちも二人を比べるわけです、客観的に。
そうすると、どういう風に映るかというと、やっぱり振り返ればどっちもすごいと思います。
カラーも違うし雰囲気も違うんですけど、やっぱりそれぞれ良さがある。そして時代にマッチするかも相当関わってくる。
だから、「あー、これはそれぞれが逆の時代を生きたらどうだったんだろうな」と真剣に考えることもあります。
でね、こうやってリアルな立場に置かれている僕だからこそ世の「あとつぎ」の方々に唱えたい表現がズバリこれだ!
それは「跡繋ぎ」。
いかが?
え?強引だなって?まあ許してよ。
「あと」はやっぱり「軌跡」の「跡」。
今までもこれからも続く道を自分が太く広く、そして長く、歩きやすいようにしていく。
そして、「つぎ」は「継ぎ足す」のではなく、しっかりとタスキを「繋いで」いくこと。
それは先代への敬意であり、後世への示しでもあると、今は深く考えます。
こうして家業に入り、2年という月日が過ぎましたが、本当に毎日が「濃い」。そして「アツい」。
最初はどこか頭の片隅に「父の助けになりたい」と「後ろ」を「継ぎ足す」感覚があったように思います。
でも今は、「継ぎ足す」イメージは全くない。だって道は続いていくのに、一緒に萎んでどうするのよ。
これから先、自分が代表になれば誰も責任は取ってくれません。
何も保証されていないこのポジションにひるんで立ちすくんでたら、ライバルは見えないところまで先に行ってしまう。
だから頑張るし、どんな時でもお客様のため、家族のため、色んな人の思いを背負って先頭で走り続けるんです。
そう、経営者という生き物はそんなものだと思っています。
父だって、良さは継承しつつ、「後ろ」を「継ぎ足す」のではなく「軌跡」を「繋ぎ」にいったと思います。
だから、僕も同じように「繋ぎ」に行くさ。
まだまだこの街の安心を守るために大きくなりたい。もっと多くの人の喜ぶ顔が見たい!
本当に、毎日が楽しくてウキウキでございます。これ真剣だからね。
勉強も止まらないので、たまにはこうやって落ち着きながら書き起こしておこうと思ってさ。
明日はどんなことが起こるかな。
ではでは。
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